濱ちゃんコーナー


■濱チャンの自己紹介をさせて頂きます■

(濱ちゃん事) 濱谷 光安 (生まれ) 1956年 8月25日 乙女座 生まれも育ちも三重県 (山との出会い)小学校の林間学校で愛知川に泳ぎに行ったのが鈴鹿との出会い。中学の時、先輩に勧められて山岳部に入部、最初に登った山は釈迦ヶ岳・流れ谷コース(最初からザイルを使った山登りでビックリ!すぐに辞めようと思いましたがその時の開館が忘れられず山にのめりこみました。その後高校は山岳部の有る名古屋の高校に進学、山岳部に入学式の日に即入部、そこで今でも一緒にスキーに行ったり遊んだりする鈴木君と出会いました。高校では激しいトレーニングで朝登校するのが嫌なくらい。毎日帰宅は10時過ぎでした。今思うとその激しく厳しいトレーニングが有ったからこそ今でも山が続けられているように思います。岩登りにはまり同級生と御在所バットレスを顧問に無断で登り坊主にさせられた事もありました。想い出が一杯詰まった3年間でした。

 勉強が嫌いと言うより山が大好きでしたから進学はその当時第二次RCCのエベレスト登山隊を指揮しておられた湯浅道男先生が顧問をつとめてみえた愛知学院大学と決めていいて同期の鈴木君と共に入部、少し長く在籍しましたが6年間の間ほぼ毎週御在所で岩登り、夏は30日間縦走や滝谷、屏風岩、剣で岩登りまくりました。印象に残っているのは北岳バットレスと北穂滝谷の冬季登攀です。

 その後1977年パキスタン・カラコルムの8千メートル峰ブロードピーク峰の日本の登山隊としては初めて登頂、1979年マッキンレーでは無謀な行動でアクシデントに見舞われましたが何とか助けられました。その7年後、大学で出合った妻と結婚、二人の子供たちにも恵まれ平成8年今の店をオープンさせていただきました。 今日まで12年間決して楽ではありませんでしたが皆様のお陰で今に至る事が出来ました。感謝いたしておりますと同時にこれからもよろしくお願いいたします。

1977年 パキスタン カラコルムのブロードピーク峰(8063m)

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同じ1977年には日本山岳会のk2登山隊も入山していました。出発してベースキャンプまで21日間のキャラバンは灼熱の中、4900mのベースキャンプから山頂までは30日間、帰国までは延べ3ヵ月かかりました。今思うと、バルトロ街道に匹敵する景色にはその後出あっていないように思います。

 

 

 

 

 

 今でも最高の恩師 湯浅 道男先生です

 

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バルトロ氷河のコンコルディア辺りでの写真です。背景の一番高い山がガッシャーブルムⅣ峰です。先生はとても厳しく山登りに甘えと妥協を決してゆるしてくれませんでした。早朝行動、スピード登山、その安全登山に対する考えは今でも私の中に」生きています。

 

 

 

 

 

 登頂を終えベースキャンプ休養する私です

 

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大学の先輩 通称賢ちゃんです。学生時代に色々な経験をさせてくれた偉大な先輩です。

 

 

 

 

 

 

 

 1979年 アラスカ・マッキンレーでの写真です

 

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写真右・マッキンレー南壁の全景です。少し左よりを登りました。

写真中央・南壁の中間部からフォレイカーの朝焼け

写真左・南壁中間部の核心部を登る

 

 

 

 タルキートナでフライトを待つ同期の鈴木君と私

 

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実際に乗ったセスナはもっと小さかった、直接氷河に降りるためタイヤの一緒にソリが付いていました。荷物を全て乗せたら我々はとても窮屈で身動き一つ出来ませんでした。

 

 

 

 

 

 エベレストビューホテルから望むエベレストとローツェ

 

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 登頂後ベースキャンプで隊員とシェルパの皆さん

 

 

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